うつ病の私にとって土日祝日が持つ意味

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他の人はどうなのだろう?

現在うつ病で一旦リタイアしてしまっている私の日常なんて、周りから見れば土日祝日も週末も平日も、どれもこれも休みなんだから大差ないでしょ?なんて感じに映るのかも知れません。

しかし、世間一般的に皆さんが働いている日に休んでいる「休み」と、休みの日に休んでいる「休み」とでは精神的負担が全くと言っていい程に違う「休み」なのです。


それは社会から休むコトが「許されている日」なのか「許されていない日」なのか、うーん、恐らく対外的なモノで、周りの目を気にしているからなのでしょうね。クダラナイ感覚が無意識にも自分の中に強くあるのだと思います。

『期待』=『生きる活力』

我が家の稼ぎがしらとして派遣社員で働いている私の妻は、いわゆる一般的な企業の営業事務をやっているため、基本的に土日祝日は仕事が休みです。

もう結婚して10年は経つので、いわゆるラブラブ的な関係ではありませんが、とても大切な家族です。

ウチのネコ『ゆずぽんず』を一緒に育ててきた間柄だし、ラーメン店を手伝ってくれていた戦友でもあります。


そして土日祝日が仕事休みの妻は、休みの日には決まって「〇〇でも食べに行こうよ!」と私を誘ってくれます。

未だ夏休みを続けているような状態の私を気遣って、そんな風に誘い出してくれるのです。

そしてそんな誘いを毎週末に『期待』する自分がいます。


昔から『期待』するから辛くなる。そう考えていたから、『期待』は他人にするモノではなく自分自身にするモノだと思っていました。

しかし今では『期待感』は私の活力となって、今週も3連休なもので、今日も明日も『ドコに何を食べに行こうか?』なんて考えるコトが楽しみで仕方ありません。


きっと20代の自分なら「そんなつまらない人生、生命を維持するだけの人生、何の意味があるの?」なんて、きっと強烈に批判したと思います。

しかし、いまの私に人生の意味なんて考える余裕はないけれど、期待はいつか裏切られるのかも知れないけれど、土日祝日は遠足に行く子供のような感覚になって、その日を乗り越えていける。

また来週も再来週も。それの繰り返し。

いまはそれで十分かな?

「親になって初めて親の気持ちを知る」なんて言うように、うつ病になって初めて、その苦しみを知りました。

こんな病気、1日も早く治して誰かと共有していければ…と、そう考える今日この頃です。


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